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  • 2014.06.01 Sunday

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    まともがわからない

    • 2014.06.01 Sunday
    • 21:53
    世の中には途方もないほどの量の言葉があって
    そのどれを選んでどう組み合わせて何を伝えるのかというのは本人のセンスで
    またそれを受け取った方がどう解釈して理解するかというのも本人のセンスで
    そう考えると、わたしが今まで発した言葉、受け取った言葉のどれほどが
    どちらの意図からもブレずに伝わっただろう。

    同じ日本に住んでいて、日本語を読んで書いて話して聞いて
    「わかる」のがあたりまえだと思って疑わず、だけどほんとうはまったく違うものをみていたとしたら?

    と考えはじめるととても怖い。なにもわからないし誰にもわかってもらえてないんじゃないかと思う。
    孤独でさみしくて悲しくてむなしい。

    でも、だけど、それは普通のことだとも思う。
    もしかしたら、お互い違うものをみながらでも、話をして、聞くことができる。
    誰とでもとはもちろん思わないけど、少なくともわたしには、それができる相手がいる。

    みんな違うということを知って、みえる世界のしくみが少し変わる。
    ふわっと、それぞれが個性的でとか、そういうことではなくて。
    違うからこそ選ぶ言葉と理解する言葉の意味があるんじゃないかと思う。

    「朱色」という色の名前を聞いて、万人が知っている、思い浮かぶ「朱色」が
    果たしてみな同じなのかどうか、それはわからないって谷崎潤一郎の本に書いてあった。
    読んだときは、ただほんとうに、目で見る色はもしかしたらひとによって違うかもしれないと思ってハッとしたけど
    色のことだけじゃない。言葉も、ファッションも、そのほかのすべてきっとそうで
    だから自分の選んだものや相手の選んだものが重要なんだ。

    わたしは、そのときに本物だと思うものを選びたい。
    あとになって間違っていたことに気づくこともたくさんあるけど
    そのときは本物だと思うものを選びたいし、本物を選ぶひとと一緒にいたい。
    ただ、その、何が本物なのか、ということすらひとそれぞれだというところがまた厄介なんだけども...。

    落語よ今夜もありがとう

    • 2014.05.15 Thursday
    • 01:17
    なんとなくしんどかったりつらかったり、いろんなことがうまくいかなかったり
    そんなの当たり前だとわかっていても凹んでしまうとき
    落語をみると笑ってるうちにそういう気持ちが薄れていきます。

    落語ってすごいなー。

    傷とともに踊る

    • 2014.04.12 Saturday
    • 10:34
    昨日は会社を休んでしまった。
    いい天気だったのに外にもでないで、もったいなかったな。

    でも、じっと布団の中で気持ちが落ち着くのを待つのが一番確実な方法だと思うので。
    ぐるぐる考えること、考えてる途中に寝てしまうこと、起きたらおなかすいてて
    なんかだんだん大したことじゃないように思えてくること。
    そういう風にして自分を少しみつめる作業。

    今までずっと、外に求めていたものを内に探してみる。
    なにも見当たらなくて愕然とするけど、外にだってなかったのだから
    しばらくゆっくり探そう。

    ひさしぶりにブログ書くとなんか楽しい。

    まともがわからない

    • 2014.04.10 Thursday
    • 22:14
    最近の若いひとがお酒を飲まないのは
    お酒なんかなくても自分の気持ちを表現したり、相手を理解するツールとして
    インターネットが機能しているからだ、というような文章を読んだ。

    ふーん。なるほどね。と思いつつ、いや、やっぱ違うだろ、と思ったのはなぜかというと、
    ネットの海に吐き出す感情というのは、あくまでも「不特定多数」の「誰か」が相手で
    面と向かって飲む相手というのは、顔がみえて、なおかつ一緒に飲みたい=仲良くなりたいと思う相手なんでは?と思ったから。

    もちろん、誰ともしれないひとに伝わって、共感してもらえたらうれしいこともあるが
    自分がどうしようもないときに相手してくれるひとというのは、
    あったこともない、画面の向こうでうなづいているひととは違うと思うんだ。
    どっちもそれぞれすばらしく価値あることなので、
    わざわざ切り分けて考える必要もないんではないかと今日思った次第。

    そんなわたしは、ゆるくもギリギリに張り詰めた精神状態をビーーーーーンと震わされる出来事があって
    泣きそうな気持ちで電車に揺られながら、
    最後はやはり己しかなく、己の弱さや不甲斐なさがただ自分に返ってきてのこの結果なんだろう。
    悪意のなさゆえのするどさに身を切られつつ、
    今日もセブンプレミアムのワインとスモークにお世話になっている夜。

    世間のひとが、あたりまえのようにしていることができなくて
    ただただいろんなことを忘れたい。

    食べることについて

    • 2012.10.08 Monday
    • 14:13
    超ひさしぶりに書くな。。



    ひさしぶりに会うひとほぼ全員に「なんか丸くなったね。。」とかいわれるようになり、

    自分でもほんとにやべえと思ってるんだけど、なんせ誘惑が多くってね。。



    が、そんなこともいってられないので、3連休なんも予定がないことだしと思って

    1度やってみたかった週末断食をしています。



    といっても完全になにも飲み食いしないわけではなく

    お水はたくさん飲むしお昼にはごはんを1膳食べるし、かなりの回数酵素ドリンクを飲みます。



    昨日はとにかく必死で、部屋のそうじして気をまぎらわせたりしてたけど

    今日はなんだか昨日とは少し違う気分。食べることってどういうことで、食べものってなんなのか。

    ふだんほんとになんも考えないでごはん食べてたなあと思う。



    ただ、慣れてくるとどうしてもそういうこと忘れちゃうし、暴飲暴食だって好きだし、

    だからこれからもたまにリセットするために週末に断食しよう。









    明日以降の夜ごはんのために野菜とベーコンのスープを作った。

    群馬の泥つき人参。切ったらきれいなオレンジ色で感動しちゃったよ。

    とはいえやっぱりおなか空くー!
    おなか空きまくりで料理してるとスープのにおいもホクホクのおじゃがのにおいも
    いつもの数倍おいしそうに感じる…。
    菅野美穂ちゃんのコマーシャルみたいにマヨぶっかけてむしゃぶり食べたかったけど我慢しました。
    (ぽてサラにした)

    昨日作ったピクルスも冷蔵庫の中で待機中…。

    明日からは腹八分目を意識してごはん食べよう。

    でも死ぬほど満腹になりたいときもあるよねー<(*´?`*)>ヘヘッ☆

    はじまりはいつも

    • 2012.07.03 Tuesday
    • 01:16
    梅雨らしくないまま過ぎてゆく梅雨ですが、いかがお過ごしでしょうか。そこのあなた。
    わたしはひとりでいることについて考える日々です。

    ほんの少し前までは、ひとりで過ごすのはつまらなく、さみしく、恥ずかしかった。
    わたしにとっての「ひとりでいる時間」の楽しさは「誰かといる時間」の休憩のようなもので
    みんなで騒いだり、家族で過ごしたり、誰かと旅をしたり、
    他人といるあいだ意識的にも無意識的にも使っている心のアンテナを休めるのがひとりの時間で
    どこかへ行ったりなにかを食べたり(飲んだり)するにはいつも誰かが必要だった。

    だけど最近、誰かに声をかけて予定を合わせてでかけるよりは
    ひとりでフラッと飲みに行ったり、でかけたりするのがたのしい。
    もちろん、ひとと過ごすことがつまらなくなったわけでも嫌いになったわけでもなくて
    ゆかいなひとたちと会ってしゃべって酔っぱらうのは今でも大好きだけど
    そうすることで得られた多幸感が薄れたというか、少し落ち着いたというか、
    一体なんだろうね。っていうことを最近考えている。

    家に誰かが遊びにきていて、そのひとが帰ったあとのシーンとした感じとか
    みんなで飲み屋でどんちゃん騒ぎして駅まで向かってバイバイして、真顔に戻って電車に乗った感じとか、
    そういうのは仕方ないことなんだなとやっと理解した。
    ずっと一緒にいたくても、ずっと遊んでいたくても、それは無理で
    きちんとひとりでいられるようになりたいなと思うようになった。のかもしれない。えっ今?

    小さいときからおかあさんは毎日どんなときも家にいて夜は家族でごはんを食べて
    大きくなってからは少ないながらも心を許せる友人や先輩がいて
    そのひとたちにまったく甘えて暮らしてたんだなーと最近つくづく思う。
    カナダにホームステイしてたときのことをよく思い出すのもたぶんそのせい。

    あのときわたしは、言葉もよくわからない外国に知ってるひともいなくてほんとうにひとりぼっちで
    そのときの日記をみると、笑えるくらいに帰りたがっているわたしがいる。
    どんな景色も経験も、自分の思う通りの言葉で伝え、理解してくれる相手のいないストレスとさみしさを知って
    たしかにあのときは日頃の身の上に感謝していたはずなのに、もうすっかりその感覚は薄れて
    傲慢な暮らしをしていたなあと思う。ひとに対して。

    もっともっと誠実でありたいし、そのためには偽りの自分でひとに接してはいけないし
    自分がどんなひとなのかをもっと知るためには、ひとりで過ごすのも大事なことなのかもしれないというのが最近思うこと。

    無理をしたり我慢したりすることも大事で必要なことだけど
    気付かないうちに自分で自分の気持ちに負荷をかけるようなことはできるだけ避けたい。

    今までは、ただ好きな服を着て無理やり力技で着こなしていたけれど
    これからは自分の体形や好みによくあった服を着たいというようなのと似てる。

    自分の体形と好みをもっとよく知りたいな。



    怒られる理由はいつも私語です。

    ひとはみな

    • 2012.06.29 Friday
    • 21:45

    選挙の頃になると、何年も連絡をとっていなかった昔の同級生が急に連絡してくるという珍事に
    今まで何度か遭遇したことがある。
    (最初、母は当時の恋心を告白するための電話と思ったそうです。sorry..)
     
    今度の選挙はいくか、誰にいれるか決めたか、決めてないなら○○さんに!決めていても○○さんに!
    投票終わったら誰にいれたか教えて!
     
    わたしがはじめて選挙権を得た頃は、携帯電話なくてもギリギリ問題ない頃だった(と記憶している)ので
    家にあまりいないので電話しないでほしい、携帯もPHSもないので...。といって断っていた。もちろんほんとは持ってたけど。
     
    それ以上しつこく連絡がくることはなかったけど、
    あのひとたちはなんでわたしがその電話でどうにかなると思うんだろう。とずっと思っていた。
     
    きっとあのひとたちは「わたし」がどうにかなるなんてきっと思っていなくて、
    自分たちと自分たち以外全部しかなかったんだろうなって最近思う。
    わたしが「なんかキモい。」って思ったり「つーか意味不明。」って思ったりすることなんて
    お構いなしというかそんなこと想像もしていないしこんなこといったらどう思われるだろうという意識が感じられない。

    盲信的というか。
     
    新興宗教がなんだか胡散臭く感じるのも、たぶん同じ理由。

    そして、デモを胡散臭く感じるのも、たぶん同じ理由。

     

    別に、信じたいひとは信じればいいし、いきたいひとはいけばいいけど、

    信じないひとやいかないひとだっていてもいいと思うんですけど。わたし。

    特定の宗教を信じていなくても、信仰する気持ちや神様のような存在を否定していないし、

    デモにいかないからって原発について無頓着なわけではないひともいるんだよ。

     

    たとえばおいしいものやおもしろい映画を誰かにすすめるときとかの

    自分がいいと思うものを誰かにすすめる気持ちはきっとちょっと勧誘に似てる。

     

    だけど、自分がおいしいと思ったものやおもしろいと思ったものをすすめる相手はけっこう選ぶ。

    あのひとは好きそうだとか、この子は趣味が合うからとか。

     

    誰かに何かをすすめて、気に入ってもらえなかったらちょっとさみしい気持ちにはなるけれど、

    「なんでこんなにいいものだっていってるのにわかんないの!?」とは思わない。

     

    知り合いで「なんでデモに参加しないわけ!?信じられない!!!!!」みたいにいうひとがいて、

    ええええええ...。と思う。信じてもらえなくなっちゃうの!?今まで培ってきた人間関係そこでご破算?

    なんでわたしが参加しないのか、考えもしないで信じられなくなっちゃうか。そうか。

     

    何かを信じることで強くなれたり救われたりするのも生き方のひとつだし、

    意見を同じくするひとたちで集まってその意見をアピールするのも世の中を変えるためのひとつの方法だし、

    でもそれがすべてじゃないはずなのに、信じないひとを攻撃したり、参加しないひとを切り捨てることは

    すごい怖いことだとわたしは思う。

     

    いつかもしかしたら、わたしが宗教に入ることもあるかもしれない。

    でも今はいらない。

    このあいだのNHKのオウムの特集をみたとき、ああ、これは自分も入るかもしれなかったなと思った。

    わたしがオウムを知ったのは凶悪犯罪がとり立たされているときだったので完全にクレイジー集団に思ったけど

    初期の頃に入信した元信者の女性のインタビューを元にした再現ドラマをみたら、そうは思えなかった。

    新興宗教に対する考え方も、自分のことも、少し見方が変わったと思う。入信したひとの顔がみえた気がしたからだ。


    デモに参加しているひとたちの主張することに自分も同調することがあったら、参加したい。

    けど今のところはしたくない。


    会社引っ越し後、まわりを頻繁にデモ隊が通る。
    「再稼働反対!」とか「原発やめろ!」とか「安心を返せ!」とか。

    あとびっくりしたのが「福島を返せ!」と叫んでいたこと。そのひとはなにか福島に縁があるのだろうか。

    参加していたひと全員?いったことある?福島のひとの話を聞いたことある?

     

    別に、福島のことを心配するなということではなくて、

    原発反対の運動をするために、「福島」を引き合いにだすことがどういうことなのか深く考えているのだろうかと思う。

     

    わたしは、正直今回の事故があるまで福島について「日本の県のひとつ」というくらいの認識しかなかった。

    そこに原発があることもそこで作られた電気を使って自分が暮らしていたことも知らなかった。

    それを知ったら、今まで何も考えてこなかった自分にも責任の一端はあると思う。

    一方的に電力会社や政府を責めるような行動には参加したくない。

    (もちろん電力会社や政府は悪くないという意味ではない。)


    震災以降、対話の重要さについて折に触れ考えるようになって、

    わたしはおしゃべりは好きだけどあまりひとの話を聞かないところがあるので

    それを直したいなあと思って誰かとしゃべるときには意識するようにしている。

    夢中になるとそのことを忘れてしまうけど、ハッと気がついたら、相手の話を聞きたい。

    目の前にいるひとが、どんな感じ方や考え方をするのか知りたいと思う。

     お互いがお互いの主張をぶつけあってののしり合っていては先に進めないと思うし
    知り合って「落としどころ」をみつけていくことが大事なことだと思うし
    そしてそれはすごく難しいこと...。


     政治についても。「野田ブタはすぐにやめろ!」とかいってるひとたち、選挙いってんのかな?と思う。

    わたしがデモに懐疑的な理由は、去年の都知事選の日に高円寺ではじめてのデモがあって、

    石原知事の続投を許すなみたいなこといってけっこうな数のひとが集まっていたから。みんな選挙いったのか?

    選挙にいってほんとうの意味で投票するには誰に自分の一票を託すのかよく考えないといけないし、

    それはやっぱりひとりひとりが考えることだと思うので。

     

    デモに参加しているひとたちの、話を聞いても文章を読んでも、顔がみえない。

    でもみたいと思うし、それは中に入らなくてもできることだと思うし、入らなきゃできないんじゃ意味ないと思う。

     

    誰がなにを思うかは、ほんとうに自由で、だけど責任も重大だ。

    自分の考えや発言に責任が伴うことを忘れないでいたい。

    YEBISU亭にいってきた!

    • 2012.06.25 Monday
    • 23:59

    日にちも1週間間違えていてあぶないあぶないだったのだが、
    サイフを忘れてゆかいなサザエさん状態で仕事終わりで恵比寿まで。
    ガーデンプレイスで定期的に行われている「YEBISU亭」という落語会にいってきました!
    先輩らくこさんと。

    時間ぎりぎりで走ったせいもあったけど、場内がなんかものすごく暑くて...。
    恵比寿だけにYEBISUビール一缶付きだったのだけど、そんなのあっという間!
    でも今回はじめてお酒を飲みながら落語をみてますますたのしかったのでした。
    なんか、噺家さんのまわりに後光が差していたというか、オーラがみえた...。まじで。

    今回はふつうの落語会と違って、昔ベストテンとかのプロデュースをしていた女性が企画だからか
    落語だけじゃなくてトークの時間もあり、みなさんの名前の由来なども聞けて楽しかった。
    師匠との話とか。

    柳家三三、生でみるのははじめて。女性にとっても人気なんだって。なるほどなア...。
    上手だったしおもしろかったけどわたしはあんまり好みじゃなかったナ。
    (来月またみるけど。)

    トリが桃月庵白酒!!!こないだみたときイマイチだったのでわたしの愛が冷めたかと思ったが
    みるとやっぱり目じりが下がってしまう...。かわいくて。
    やんちゃだけど決めるとこはキリッと決める感じというか、ちょっといじわるな感じも好きだ。
    みるたび「あのひとのとこにお嫁にいったらどんなかしら...☆」と妄想してしまう。

    この日白酒がやったのは「幾代餅」という噺だったのだけど、ほぼ「紺屋高尾」と同じじゃね!?という...。
    「竹の水仙」と「抜け雀」もすごく似た噺。みんなそういう話が好きだったのかしら。

    終わったあとは恵比寿の街をしばしさまよい、おしゃれなお店を通り過ぎて創業37年とかいうやきとん屋。
    らくこ先輩のお話を拝聴しつつ自分の中に燃え上がる落語熱について語っていたら
    お客さんがめっちゃ減っててリアル終電に!月曜日なのに!!

    中央線に住んでると、わりと遅くまで電車があるし、
    いつも最悪歩くかタクシーでもそんなにお金かからない場所でしか深酒しないので
    この日はほんとうにビビッた!!がいい思い出になりました。

    近々また寄席にもいきたいな〜。


    人生は思い通り

    • 2012.04.23 Monday
    • 10:25

     片方のポケットに夢を誂う夕暮よ 町の灯が空々しくてため息を誘う
    幼い日に憧れた全ては掴んでると 説き伏せる胸を盗んで木枯が往く

    こんなはずじゃなかったこの人生 いったい何処が境目だっただろう

    悔やんでも止んでももう戻れない

    片方の耳を瞑ったら賑わう駅前を 唯ひとり人混み縫って思う侭進め
    追掛ける眩しさと追越す淋しさよ くたびれた脚にこぞって絡まる闇

    どうかやりなおさせてよこの人生 もう一度あの瞬間をつかまえたい

    笑っても泣いても嗚呼行ったきり

    こんなとこなのか知らんこの人生 いったい何から制限されているの
    いいや!最初から自由そのものさ たった今この瞬間をつかまえたい

    わたしたちは何時も‥行ったきり


    これをとても美しいスウィンギンな曲にのせて林檎つんが歌うのです。
    聴くたび胸に沁み入って泣きそうになる。

    こないだ落語いったときに
    「俺は、自分の思い通りの人生を送っている。」「いいや、人生なんか思い通りになるもんか。」
    「人生は思い通りにならないと思っているから、それは思い通りってことだ。」
    というなんだか哲学みたいなやりとりの噺を聞いて、
    とってもバカバカしくて愛おしくて、ますます落語好きになりました。

    というわけで、明日はいよいよ寄席にいってきます!

    胡桃の部屋

    • 2012.04.02 Monday
    • 14:43
     ネットで注文した信州産のくるみが届いた。
     
    昔はナッツ類はとにかく嫌いで、中でもアーモンドとくるみは特に好きじゃなかったのだけど
    大人になってきてだんだん好きになってきた。あくまでもおやつとして。つまみにはならないが。
     
    こないだカップのヨーグルト買ったらハチミツがついていて、ヨーグルトに入れて食べてみたらおいしかった。
     
    ハチミツもずっと苦手だった。というか、食べる習慣がなかったので(アナフィラキシーショックだったらやばいから)
    大人になって食べたときに、クセのある甘さがちょっと無理...。だったんだけど
    ヨーグルトに入れるとマイルドになるのかしら。
     
    大人になると、好き嫌いが変わるんだね。
    嫌いなものを好きになったり、好きなものを嫌いになることがあるなんて、思いもしなかった。
     
    ゆうべくるみの殻を割って中の実を取り出しながら、向田邦子の「胡桃の部屋」を思い出した。
    同じ殻の中にいるのに、開けてみると、区切られた部屋の中にいるくるみの実。
    くるみの実を割ると、実が入っていない空っぽの部屋があるらしい。上手にできなくてわからなかったけど。
     
    心の中には、家族も友人も知らない、自分も気づいていない知らない部屋がやっぱりあるのかしら。

        
     
    先週末、暴風吹きすさぶ中鴨川まで苺狩りにいってきた。
    朝ごはん抜きだったので、すごいいきおいで苺を食べて、お昼は地魚の回転ずしにいって
    午後は鴨川シーワールドを満喫した。さとうが企画してくれた大人の遠足でした。どうもありがとう。
     
    東京着いて、接待のつもりでじじいふたりと天狗に入ったら
    思いのほか深い話になってしまい、もやもやした気持ちを少し話してちょっとスッキリ。
     
    自分がどんなこと考えてるかとか、はっきり言葉にできるような内容だとわりといろんなひとと話す機会があるけど、
    話してもどうにもならないような自分の中の煙のような感情は、今までほとんどひとに話すことなかったな。
    ここに書くことはあったけど。
    話してもなにも変わらないけど、自分の中でただどんどん積っていって、
    違うことで発散できてる風にしていたのとはほんの少し違う感覚だった。
     
    物語のはじまりにはちょうどいい季節になったかもしれないな

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